たぶん、みなさんは、リーマンショックの時の切迫感を知らないと思う。当時の日本のニュースは、なんじゃこりゃ位に、おとぼけ路線。切実感わからないと思う。
では、外資系勤務が感じたリーマンショックについて書きたいと思う。
2008年、リーマンショックが起きる3カ月位前から会社の人員削減が始まっていた。
当時は、日本でも北京オリンピックで盛り上がりを見せていた夏だったが、リーマンブラザースが倒産する以前の5月頃から住宅債券問題が起きていて、すでに微妙な空気感が社内に漂っていた。日本のニュースではそこまでの切迫感はなかったかもしれないが、社内は既に異変に溢れていた。実際、その時は、2週に1回程度、誰かしら知っている人がアジア地域から首を宣告され消えていくといったことが起きていた。
そして、9月になり、とうとうリーマンブラザースが破綻した。その数日前の夜、マーケットではかなりの緊迫感が迫っていたのを今でも覚えている。自宅でのんびりテレビを見ていると、携帯がなった。
アジア統括からだった。
それまで、彼が日本に来れば、飲みに行く間柄になっていたので、結構気楽な感じで私は応答した。
彼の声は、切羽詰まった状態だった。
彼「○○さん、決済はどの程度わかる?危ない状況だ。いつ、崩壊してもおかしくない。一行でもマーケットから資金が取れなくなると、連鎖倒産もあり得る。一週間の資金繰り勝負だ。」
私「通貨スワップの決済で失敗したことあるので、メジャーカレンシーの決済は詳しいほうだと思います」
彼「すぐ会社に来てくれ。決済は、他部署の業務だけど、手伝ってくれ。DVPの決済は止められないが、リスク高い先のスワップやFXの資金は止めたい」
私「どの程度止めるのですか」
彼「それを含めて、今夜からミーティングやる。東京でも何人か呼び出しているし、他のロケーションでも呼んでいるので頼む」
私は、会社に向かった。 会議室には、知った顔が何人もいた。そして会議室の前方には、何人ものアジア各国の人達が画面越しに手を振ってくれた。ただ、いつもの、気楽な感じではなく、どんよりとした感じとこれから言い渡されることへの疑心感に満ち溢れていたといった状況だった。