リーマンショックの続き

本社からの資料が配られた。流動性リスクの高い先のリストだった。既に金融機関でもかなりマーケットから資金を取ることに厳しいことはわかっていたが、絶望に値するリストだった。名だたる金融法人や機関投資家がリストアップされていた。

そんな中でのミーティングだった。

意外かもしれないが、所謂投資銀行というところは、決済は普通の銀行任せの感があり、決済に強い人間はいなかった。

そんななか、まず決済のシステム上どのような歯止めができるのか。それぞれの約定システムからの決済情報の伝達手段が如何におきるのかが、ITから説明された。また、該当取引の総計等がバックオフィスから説明された。また、各取引先の与信情報がクレジットから、そして取引先の取引量と収益金額等がセールスから簡単に説明された。

以上の情報をもとに議論されたのだが、あまりにも取引量が多く、議論も混沌としていた。結論としては、90%うまくいけば良いだろうの場当たり的な作戦をとることになった。そして、実際の運用は、1000億円以上の資金を数時間止めていたこともあった。そして、当社が資金をリリースするための確証を提出してもらう作業も繰り返しお願いして回った。

私たちのとった手法は、契約違反ではない。しかし、いわゆるマーケットのコンセンサスからは逸脱していた。つまり、法律に触れない範囲でぎりぎりの手法を取ったのだが多くの取引先からはクレームも多々頂いた。ただ、当社が実損を被ることはなかった。

こんな方法は、日本の金融機関では絶対に不可能な方法だったと思うし、彼らの思想カルチャーでは思い浮かばない内容だったであると思う。正直、最初の会議が開かれてから収束を迎えるまでは、私自身アドレナリン全開で働いていたと思う。

そして、この件は、私にとっては昔の失敗が役に立った出来事であった。それとともに主導的な役割をとったことにより、東京の上席やアジア地域での評価が格段にあがった機会であった。そして仕事が益々面白くなっていく機会でもあった

そして、日系は外資系には絶対に勝てないと思う機会でもあった。