久しぶりに映画をスクリーンで見たので、映画関連の感想を初めて出させていただきます。
ネタばれもちょっと含まれているので、これから見に行かれる方は、読み飛ばして下さい。
映画は、「ヤクザと家族」。
あくまで個人的意見ですが、最近の日本やくざ映画三大作品といえば、「アウトレイジ・シリーズ」「日本で一番悪い奴ら」「孤独の血」だと思う(「日本で一番悪い奴ら」「孤独の血」は、警察ドラマではあるが、裏社会とのつながりが大きいがため、あえてやくざ映画の範疇にいれた)。
それらの作品と本作の圧倒的違いは、作品の中で描かれる暴力性と普通の人にとっての非日常の恐怖感だと思う。先に記載した作品は圧倒的暴力性でスクリーンの中に人を引き込み、一般では起こり得ない事象に満ち溢れている。他方、本作品では暴力描写は極めて限定的に抑えられており、だからこそ、ある意味別世界の出来事ではない、誰しも変えることのできない世界での苦悩が正面から描かれている。
物語の前半は、所謂やくざ映画典型的な流れではじまる。主人公である山本(綾野剛)の暴力性、いかにして彼が組と家族になっていくことが描かれていく。少々残念だったのが、主人公のような人が組を家族として考えていく上での事象が物足りなさを感じざるを得なかった点だった。本来、やくざ世界で「家族」というものは、親のためにいつでも「死」という覚悟でなりたっている。それを考えると、どうしても腹に落ちない部分を感じざるを得ない。
その後、主人公が懲役から復帰した後は、暴対法・暴力団排除条令施行後の、反社に属している者の苦悩が、前半とは打って変わった山本の表情だけでぐいぐいと迫ってきて、それだけでスクリーンに引き込まれる。
従来は、暴対法・暴力団排除条令施行後の世界を「半ぐれ」や「暴力団のフロント企業」を中心として描いていく作品が多い中、正面から「暴力団構成員」の苦悩や挫折に切り込んでいく姿は、ドキュメンタリーを見ているかのようだった。
やり切れないと思いながらも、要領のいい生き方なんてできない、そして自分で世界を変えることはできない者の悲哀が主人公の目と背中で物語ってくれる。そして不可能に挑戦するにはもう牙が削ぎ落されてしまっている主人公の生き様は、観ている者に「生きる意味」を問いかけてくれるそんな作品だった。
主人公を演じる綾野剛と同様に木村翼を演じる磯村勇斗の目の動きも特筆すべきものであった。2時間以上の長編作品であるが、決して長いとは感じなかった作品であった。